今日、1月17日は「兵庫県南部地震(阪神大震災)」が発生した日です。
あれからもう13年。
当日の早朝、筆者はまだ寝ており、たまたまトイレに行きたくなって
布団から出ようとした時に、最初に「ズン」と下から突き上げるような
感覚を感じた瞬間、そのすぐ後に激しい縦揺れが襲ってきました。
数秒後、横揺れに変化。激しい揺れに耐えながら、隣の部屋にいた
母の無事を確認。とても立っていられるような状態ではなく、
部屋に置いてあった熱帯魚の水槽が倒れないように
必死に押さえていました。
とりあえず揺れが収まった後、隣に住む兄の家へ。
兄夫婦と当時2歳の姪の無事を確認。
筆者・兄の住む家は、築40年近い文化住宅ですが、幸いどこもダメージを
受けている所はなく、家の中もそんなに散らかっていませんでした。
唯一の被害は前日、兄に貸していたゲーム機「レーザーアクティブ」が
転落したテレビの直撃を受けたくらいでした。
(本体のボンネットが凹んだだけで、中身は無事。後日修理。)
ライフラインは、大阪市内の他地域の状況は分かりませんが、
筆者達の住む西成区は、電気・水道は地震直後でも使用可能でしたが、
ガスだけは地震発生から約2時間程、不通になっていました。
あまり目立った被害は無かったものの、
しばらくの間、余震に悩まされました。
街へ出てみると、普段はほとんど見ることの無い、自衛隊車両が
走っていたり、空を見ると無数のヘリコプターが飛んでいたり、
いつもの日常が失われたと実感しました。
筆者にとって神戸は大好きな街の1つで、1994年1月頃に家族で初めて
南京街に訪れて以来、年に数回遊びに来ています。
震災半年前、愛媛県へ帰省のために乗ったフェリーから見た
神戸の美しい夜景は、今も目に焼きついています。
傍目から見ると復興が進んでいるように見えても、
被災者の高齢化・孤独化や膨大な負債等、まだ問題が山積みのようです。
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